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第34話 声を奪う誓約

last update publish date: 2026-10-12 13:45:35

第34話 声を奪う誓約

 ミリアの喉に巻きついた黒い糸が縮むたび、細い首の皮膚が内側へ引きつれた。見えない手に気道を塞がれた彼女は、娘を抱いたまま激しく喘ぎ、どうにか声を出そうとして唇を震わせている。

「私は、飲ませて……いな……」

「もう話さないでください。あなたが黙っていても、あの薬を飲ませた母親だとは考えません」

 エララはミリアの肩を支え、喉元へ手を伸ばした。黒い糸をほどくためではない。これほど強く締まっているものを力任せに断てば、何が起きるか分からなかった。

 この誓約は、ミリアの命だけを代償にしているのではない。

 喉を縛る黒い糸の一本が、担架に横たわるエマの胸へ伸びていた。母親が禁じられた事実を話そうとするたび、その糸が母娘の間で張り詰め、少女の心臓に絡みついた糸まで深く食い込んでいく。

 母親に真実を語らせれば、その苦痛は娘にも届く。相手はミリアが娘を守るためなら何も言えないと知ったうえで、二人の命を同じ誓約へ縫

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    第34話 声を奪う誓約 ミリアの喉に巻きついた黒い糸が縮むたび、細い首の皮膚が内側へ引きつれた。見えない手に気道を塞がれた彼女は、娘を抱いたまま激しく喘ぎ、どうにか声を出そうとして唇を震わせている。「私は、飲ませて……いな……」「もう話さないでください。あなたが黙っていても、あの薬を飲ませた母親だとは考えません」 エララはミリアの肩を支え、喉元へ手を伸ばした。黒い糸をほどくためではない。これほど強く締まっているものを力任せに断てば、何が起きるか分からなかった。 この誓約は、ミリアの命だけを代償にしているのではない。 喉を縛る黒い糸の一本が、担架に横たわるエマの胸へ伸びていた。母親が禁じられた事実を話そうとするたび、その糸が母娘の間で張り詰め、少女の心臓に絡みついた糸まで深く食い込んでいく。 母親に真実を語らせれば、その苦痛は娘にも届く。相手はミリアが娘を守るためなら何も言えないと知ったうえで、二人の命を同じ誓約へ縫いつけたのだ。「切ってはいけない」 エララの言葉を聞き、剣を抜こうとしていたケイルの手が止まった。彼が狙っていたのは糸ではなく、それを結ばせたと思われる者だったらしい。金色の瞳はセヴランを捉えたまま、怒りを隠そうともしていなかった。「誰を切るつもりだったのかは聞きませんが、今は何もしないでください。この誓約には、エマさんの命まで組み込まれています」「母親が話せば、娘が死ぬということか」「そこまでは断定できません。ただ、ミリアさんの喉を締める糸と、エマさんの心臓を覆う糸がつながっています。片方だけを無理に断てば、残された力がもう片方へ流れ込むかもしれません」 ケイルは低く息を吐くと、セヴランを睨んだまま剣から手を離した。怒りを抑えたというより、あとで必ず使うために鞘へ残したような諦めの悪さがあった。「ならば、あの司教を拘束して誓約の解除を命じる」「おやめになったほうがよろしいでしょう」 セヴランが静かに口を挟んだ。「先ほどから申し

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    第33話 治せないと答える勇気 母親の喉を締めつける黒い糸を指摘しても、セヴラン司教は驚かなかった。見えないものなど存在しないと笑うでもなく、エララの主張を認めるでもなく、ただ幼い子供をあやす大人のように、困ったものだという微笑を浮かべている。「誓約を解けとおっしゃいますが、そのようなものは結ばれておりません。もし本当に黒い糸が見えるのであれば、まずは皆にも分かる形で証明なさってはいかがですか。あなたにしか見えないものを理由に裁問を止めれば、どのような結果であっても言い逃れができてしまいます」「止めるとは申していません。ミリアさんの意思を確かめるまで、治療を始められないと言っているのです」「この母親は、娘を救ってほしいと何度も訴えています。それ以上、何を確かめる必要があるのでしょう」「言葉が本人の意思から出たものかどうかです。司教様には、ずいぶん理解しにくい違いのようですが」 エララが返すと、広場のあちこちから低いざわめきが起こった。観衆の一部はミリアが喉を押さえて苦しんだ姿を不審に思い始めていたが、それ以上に多かったのは、議論を続けるエララへの苛立ちだった。目の前では少女の呼吸が弱まり続けている。事情を知らない者にとって、母親に誓約があるかどうかは、大人同士が勝手に作った問題でしかない。「話している間にも、その子は死に近づいているんだぞ!」 最前列にいた中年の男が、人垣から半身を乗り出して怒鳴った。粗末な上着をまとい、日に焼けた頬には涙が伝っている。「俺の息子は五年前、流行り病で死んだ。助けられる者がいるなら、どんなやり方でも助けてほしかった。あんたたち偉い人間には面子も決まりも大事なんだろうが、親にとっては子供が息をしてくれることより大事なものなんかないんだ。違うか!」 その言葉には、見物人の無責任な残酷さだけでは片づけられない痛みがあった。エララは反論できなかった。息子を失った男にとって、慎重さは美徳ではなく、助けられなかった者が自分を慰めるために使う言い訳なのだろう。 別の場所からも声が上がった。「本物の聖女なら治してみせてよ!」「できないから時間

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    第二十九話 帰らないという選択「している。自分でも呆れるほど、ひどく嫉妬している」 逃げ道を塞がれた末の告白だったからか、ケイルの声には甘さよりも苦さが滲んでいた。彼はエララから目を逸らさずにいたが、その姿は返事を求めているというより、自分の醜い感情を差し出し、拒まれる覚悟をしているように見えた。 エララは胸の奥が温かくなるのを感じたものの、すぐに喜びを口にすることはできなかった。嫉妬されて嬉しいと言えば、彼が苦しんでいることを面白がっているように聞こえる。それでも、自分を失いたくないと願う人がいる事実は、長く誰かの役に立つことでしか居場所を得られなかった彼女にとって、簡単に受け流せるものではなかった。「正直に話してくださって、ありがとうございます」「礼を言われるような感情ではない。ルシアンの名を聞くだけで腹が立ち、あの肖像画を燃やしたいと思った。王妃の暗号がなければ、額縁ごと暖炉へ入れていたかもしれない」「そこまで嫌でしたか」「嫌だった。幼い頃の絵だと分かっていても、あの男が君の肩へ腕を回している。それを君が懐かしそうに見ていると、私の知らない時間を見せつけられているようで、どうにも落ち着かなかった」「私は、懐かしいとは思いました」 ケイルの眉がわずかに寄ったが、エララは言葉を取り繕わなかった。「同時に、苦しいとも思いました。あの頃の私は、ルシアンの隣で微笑むことが自分の幸せだと信じていましたから。絵の中の自分を見ていると、その子へ何を教えてあげればよかったのだろうと考えてしまうのです。もっと早く逃げなさいと言うべきだったのか、それとも、あなたが信じた気持ちまで恥じなくてよいと伝えるべきだったのか、自分でも分かりません」「両方でよいのではないか」「両方ですか」「信じたことは恥ではないが、傷つけられ続ける必要もない。幼い君が間違っていたのではなく、その信頼を利用した者が間違っていた。私なら、そう言う」 エララはしばらくケ

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    第二十八話 嫉妬深い竜の質問 肖像画の裏から浮かび上がった王妃セラフィーナの救援要請は、月光が雲に遮られると同時に消えた。 銀色の文字が見えなくなったあとも、エララには王妃の切迫した声が聞こえているような気がした。ルーナ王宮は教会の手へ落ち、王も王太子も人工の番印によって判断を歪められている。かつて王妃がどこまで真相を把握し、誰を信じて準備を進めていたのかは分からないが、教会の監視をかいくぐって暗号を残した以上、危険が迫っていたことだけは間違いなかった。 エララは肖像画を胸元から離すと、月明かりの残る卓へ慎重に置いた。「この暗号が書かれたのは、十年以上前です。当時から王妃陛下は、教会が王家を操っていると気づいていたのでしょうか」「暗号そのものは、最近書き加えられた可能性もある」 ケイルは肖像画の裏板を調べながら答えた。表面の木は年月を経て黒ずんでいるが、裏紙の一部だけは接着剤の色がわずかに新しい。「古い肖像画を隠し場所に選び、君が婚約を拒絶したあとで文章を追加したのかもしれない。そうでなければ、『この絵があなたのもとへ戻されたとき』などという書き方はしないだろう」「王妃陛下が自分で封筒へ入れたと思いますか」「その可能性は低い。使者を自由に動かせるなら、もっと分かりやすい方法で助けを求められたはずだ。王妃はルシアンがこの絵を君へ送ると予想し、先回りして暗号を隠したのだろう」 ケイルはそう分析しながらも、肖像画の表へは視線を向けようとしなかった。少年時代のルシアンが幼いエララの肩を抱いている構図を、意識して避けているのが分かる。 リナは二人の間に流れる微妙な空気へ気づいたらしく、肖像画の上へ布をかけた。「大切な証拠ですので、傷がつかないよう包んでおきます。決して、陛下が御覧になるたびに不機嫌なお顔をなさるからではございません」「私は不機嫌な顔などしていない」「左の眉が普段より上がっております」「生まれ

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